両親の良心。
何を隠そうわたくし、生まれだけ鹿児島なのであります。
1982年の冬、この地で珍しく雪が積もったのだそうで。
「なごり雪のように純真に育ってほしい。」
などというメルヘンチックな両親の欲念を
入学式の新入生代表挨拶のようにしっかりとした口調で春の息吹に返事をし
生を受けましたが
「雪絵さんってもちろん冬生まれなんですよね?」
との問いに対し
「い、いや……実はこうこうこうで、このような理由から4月に生まれたのに雪絵なんです。」
と、出会う人出会う人におどおど猫背になりながら
これまで何百回説明したでしょうか。
多少厄介な名ではありますが、心なしか上品そうに見えるよう名付けてもらったこと
現在ではまぁそれなりに感謝しています。
そんな両親の馴れ初めは同じ中学校の先輩後輩なのでありました。
学生の頃から想い合っていたのではなく
父が大阪で就職をし、たまたま故郷へ帰って来た時に
友人に紹介され
「あれ?知ってる人だYO!」
と、話が弾んだかどうかは憶測にしかすぎないのですが。
それでまぁ交際が始まり、必然的に遠距離恋愛になるわけで。
わたしがまだ小さい頃、あまり使わない洋服ダンスの奥の方に
たくさんの手紙が顔を出していたことを鮮明に覚えています。
その綴った言葉達は言うまでもなく
長い距離を埋めるかの如く記録に残っていました。
「敬(たかし)さんがな、もし浮気した時にこれ持ち出して戦うねん。はは。」
そして、母町子はしめしめとタンスを閉めたのでした。
一方、物心ついたある日、
父と買い物へ行き、たわいもない声を混ぜ合わせていたところ
「お父さんってな、浮気したいと思ったことないのん?」
と冗談まじりで、でも少しだけ真剣な気持ちもドッキングして尋ねると
即答で、それでいて九州訛りの絶妙なイントネーションで
「だって金がないもん。」
と。
「えぇ!!そこ?!?!」
と感じましたが、確かべらぼうにお金持ちな家庭ではなかったので納得しました。
そのまたある日、
「雪絵、ちょっと聞いてよー。スルっとKANSAIカード(厳密には異なるのですがICOCAの磁気カード版みたいなもの)買おうと思ったならな、売っとる人が美人で2枚も買ってもうたー。町子さんには内緒なー。はは。」
ああ、このようなことを娘に言うくらいならまず大丈夫だろうと納得から確信に変わったのです。
母はよく、男性に想われた方が幸せだよと言っていました。
その言葉をちょっぴり理解できる年齢にもなってきました。
定年近くまで職を変えずに働き、夫婦喧嘩なんかはほとんどみたこともなかったですし、
亭主関白で少々性格に難ありだった感は否めないですが
わたしからみても良い父親だなとは思うし、
母からみたら間違いなく誠実な男性なのでしょう。
最後に、小学生の頃、父と歩いているとふとこんなことを言われました。
「もし、雪絵に彼氏ができたら車道側を歩いてくれる人にしぃや。」
小学生相手になにいうてるんやろうこのひとは……。
当時はそう思っていましたが
只今『後藤雪絵の恋人訓練学校』には
自然に車道側を歩いてくれる男性というのが必須科目になっています。