チーズと音楽について
チーズフォンデュを食したい季節になってまいりましたね
………しらんけど。
(関西人がよく使うニュアンスです。自分の意見はまぁ恐らく間違ってはいないと思うけれど、万人受けするとは限らないしな、う〜む。という気持ちが隠っています。)
さて。
わたしは自他共に認める
社会的にわりと適合していない側の人間だということは
今までの数々の行動、言動で既に理解していらっしゃるものだと察します。
色々な仕事に就いても、内容と人間関係の陰険さにすぐ匙を投げてしまい、
飽きては変え飽きては変えを繰り返し、職を転々とする生活をしておりました。
まず、精神が非常に弱かったのだと推量します。
もしも、仕事をバリバリとこなすキャリアウーマン的人物であったならば
そもそも音楽で生活をしようだなんて企てることもなかったでしょうし、
そういった意味では逆に良い踏ん切りが出来たといいますか
良いきっかけだったのでは?と今では自信を持っているのですが。
しかしながら。
浅くではありますが経験した仕事の中で
ずば抜けて楽しかったアルバイトがわたしにはありました。
それはチーズの販売。
毎日、200種類近くのチーズの味をみては管理をするという
宝石箱の中身を覗くかのような仕事があったのです。
おおかた、他人の倍以上はチーズを食べてすくすくと育ちましたし
未だ何かしらチーズの入っている食べ物が好物ですし。
万が一、売り上げ不振(現在、そのお店はないのです。)や
いけすかない鈍感女子店員(若気の至りです。当時は許せなかった。)がいなければ
精神を費やしてしまうくらいのめり込んでいたかもしれません。
なにが面白かったか。
それは音楽と酷似していたところです。
人によればあってもなくても良い嗜好品ですし、
本当に好きな人にしか本質を見極められないかもしれないなという体験があったのです。
例えばみなさん。
モッツァレラチーズはご存知ですか?
トマトとバジルを合わせるカプレーゼというものが有名な調理法なのですが。
あれは元々水牛のお乳で作られたブーファラと呼ばれるものが主流で
スーパーなどで売られているモッツァレラは牛のお乳で作られているバッカというものです。
もちろん、牛の方がコストは安いですし
みなさんがよく食べ慣れている味はそちらの方かもしれません。
でも、本来は水牛なのです。
試食で水牛のモッツァレラを配っても
「……まずい。なんか水がでてくる。」と
それが水牛の醍醐味なのに。
ミルクのジューシーさなのに。
たくさん世に出回り、世間的に知られている方がほんもので
実際のほんものの方が味に慣れていない、知らないという理由で迫害をうける。
まるで音楽とそっくりではないか。
なにかが狂っていると思いました。
ある日、ケーキ職人さんがチーズを買いにきました。
彼が欲しいものはブルーチーズです。
味を一通り試し
個人的にはしっかりとした味のあるブルーチーズを入れた方が興味深いのになと。
そんな期待を裏切るかの如く
「……ある程度知られているブルーチーズじゃないと商品が売れないんですよね。」
彼はこう言い放ち、有名なブルーチーズを買って行きました。
結局バックボーンが必要不可欠なのか。
みんなが知っているから、その方が売れるから、
メディアが良いとするものはすべて正しいものだ
という世間の怖さを知った体験でありました。
ですが、救いは少なからずあったのです。
自分発信でおいしいと思う、自分好みのチーズを探しているお客様。
チーズの歴史までを詳しく調べて教えてくださった老夫婦のお客様。
このような方達がいらっしゃらなかったら
もっともっと心がどす黒く、またさらにひねくれていたかもしれませんね。
このエッセイを立ち上げた時
実は最初に書こうと考えていた題でした。
なぜ今になったのか。
それはその答えを自分はこうでなければならない!
と決めつけるものではないと感じたから。
人それぞれ色んな意見があって良いと思うのです。
まぁ欲を言えば、本質を見抜いてくださった方が世界は広くなるかもしれない。
素敵な思考は増えるかもしれない。
チーズにしても音楽にしても。
ところで
わたしの音楽をチーズに例えると
どんなチーズでありたいかと考えたことがあります。
こちらもこのチーズエッセイが遅れた理由のひとつです。
昔は誰もが臭い臭いと言って近づかないようなチーズだ!
と思っていたのですが
今は、
今は、
どんな料理にも対応でき、
尚且つ料理とのバランスが良い、頭の良いチーズでありたいです。
しらんけど。