愛猫と古傷
今だからこそ時効になるかもしれないが
ひょっとすると世界中で一番人より遅かったかもしれないと考える所作があった。
小さな頃、おねしょ大魔神後藤だったのである。
インタビュアー:「放送席ー放送席ィー!いやー後藤選手。セーブ率が見事にうなぎのぼりですね。」
大魔神後藤:「これもすべてガラスのようなハートのおかげです。ウッス!!」
そして、まさかまさかの小さな頃に留まらず
(隠語を用いるが隠しきれないかもしれない。)
おやまぁお赤飯でも食べようかしらという時期まで
笑えないくらいにひどかったのである。
忘れもしない小学校高学年。
わたしの地域には「子供会」なるものがあり
親子達連なり林間学校へ行く、などという行事があったのだ。
他の子達は我が家以外での未開の地を拓けるということで
思う存分わくわくキャーキャーはしゃいでいただろうに
わたしの心は夏模様どころか盗んだバイクで走り出して逃げ出したいくらい
「あーどうしようどうしよう!奇跡が起こらないかなー。」
という健闘……も虚しくいたしてしまったり。
ここは母のナイスプレーで公になることなく鎮火されたのだが(感謝しています。)
もしも、うまいこと隠してくれなければ確実にいじめられていたわけで。
そのような失敗からもめげずに育ち
少女からゆっくり大人の女性に変化過程の頃、2匹の猫を拾った。
あの時の情景は未だ鮮明に覚えていて、干涸びてしまうような
ジリジリとした真夏の炎天下の大きな公園で段ボールに仕舞われていたのである。
飲まず食わずの暑さでもう大変でしょうよ。
「生きたい!」
と言わんばかりの高い声で
わたしのガラスのハートを(もうええ)えぐり涙まで出させたのだ。
彼女達に言った第一声は
「一緒にお家へ帰ろか。」
だった。
まだ声が出せるほど体力がある状態で良かった。
きっと気付くこともなかっただろうから、と今は思う。
それからというもの
母親のように三時間毎に起きミルクをやったり
彼女らの発情期には複雑な思いを抱えながら
運も携えたのか、彼女達の生命力が半端なかったのか
大きな病気などは一切せずに五年の月日が流れている。
時を経ていくと、各々の性格が面白いほど頭角をあらわすので楽しんでいたのだが
わがままな方に手がかかるようになり
素直で物分かりが良いと思っていた方をしっかり構ってやれなかったせいで
彼女達が喧嘩ばかりをするようになった。
わたしのカラダはどう転んでもひとつしかない。
あっちを構えばこっちがブーブー文句を言い
家に帰りたくないなぁという日々が続いたりしたのは
同時に自分の古い傷がフラッシュバックしたからだ。
わたしには年子の妹がいるのだが
幼い頃しょっちゅう膀胱炎になったりすぐ風邪をひいたりして
母に構われっぱなしだった。
しかし、何か不利益なことがあれば要領よくかわせる才能を持っていた。
(今では仕方がないことだと理解していますよ。ただ、傷は蘇るのです。)
その度に長女のわたしが言いたいことを我慢したり
お姉ちゃんはずっと良い子ちゃんでいなければいけない自己暗示で
必死になりすぎてその螺子がどこかポーンとはずれてしまったのだ。
それのせいで両親にもたくさん迷惑をかけたし
姉妹の確執はどんどん広がる一方だった。
そんな記憶を思い出し
「わがままというものは結構可愛く見えるんだな。」
であるとか
「自分がこの気持ちを一番分かっているつもりだったのに。」
「例えば、自分を押し殺さなかったら未来は変わっていたかな。」
と考えながら泣けてきてしまった。
どんどん涙が止まらなくなってしまった。
ひととおり布団で泣いた後、中に従順な方が入ってきたので
「一緒に大人になろうな。」
と言い一緒に眠った。
翌朝。
彼女はおねしょをした。
もう一度
「お……大人になろうな。」
と言った。